孔子が言われた「四十にして惑はず」まで数年あった迷える私は、インターネットでひょんなことからSHIMAさんの存在を知りました。責任のある仕事を任されるようになって約1年半が経過し、自分が果たすべき役割について、あれこれ考えることが増えてきた時期でした。玉石混交の情報のなかからSHIMAさんのサイトにたどり着いたあの時のこと、今となっては偶然が微笑みかけた瞬間のように思い出されます。
画面上で紹介されている作品の中に、どうしても気になって仕方がないジャケットがありました。既製服の売り場でそうたくさんは見かけない、ぬき襟のジャケットです。襟がぐっと開いているけれど清潔感があり、毅然とした大人の女性を感じさせる上品なデザインでした。
女性が圧倒的に少ない企業で専門職をしている私は、普段、紺や黒のジャケットとスカートといった、いわゆる“お決まりのスーツ”をよく着ていましたが、もともとファッションが大好き。特に、『ローマの休日』のオードリー・ヘップバーンなどに代表されるような、1950年代のクラシックでエレガントなスタイルが好みです。SHIMAさんのジャケットはあの時代の映画と同じように、どんなに時間が経過しようと、いささかも古くなることなく、現代に強く生きている世界観をもっていました。
店頭の商品やファッション誌の中に、心から欲しいものを見つけられなかった私にとって、SHIMAさんのスーツは素通りできないものでした。まさにエレガントとしか表現できないスーツが、「ビジネスで成功する圧倒的に上質な服」として提案されているのですから!欲しいものがないなら仕立てるという手がある、しかも、自分の好きな世界観がビジネスの場でも通用するらしい……、目から鱗とはこういうことを言うのでしょう。
思い立ったら即行動のおひつじ座。まずはメールで料金や完成までに要する期間などを確認し、お伺いする日時を決めましたが、このときの心境を正直に話すと、SHIMAブランドに対して大きな期待をかけるほど過信はしていませんでした。「とりあえず“ダメもと”で1着つくってみよう」くらいの気持ちです。
確かに仕立て代は安いものではありません。ただ、自己投資に使うつもりで自分の収入の中から生活費とは別勘定にしていた資金がちょっと貯まっていました。
ビジネスをする者にとって、どこかのセミナーやスクールに通うことも、そしてスーツを買うことも、自己投資に変わりはないと私は考えます。取得資格等が増えても幸せそうには見えない同世代の友人を通じて、セミナーやスクールに通えば「元が取れる」「成功する」なんてことはない、ということは実感できていましたから、楽しく感じられるほうを選んだわけです。
SHIMAさんのホームページには、「オーダーに縁の無かった人には、今まで着てきた服の色と余り変わらない色を1着目のスーツとして勧めている」ということが書いてありますが、私の場合、「2着目のスーツ」の作品群に出てくるような、「ジャケットは無地、スカートはチェック」のアンサンブルスーツを1着目に選びました。
普段、無地のスーツを着ている者にとって、この組合せはいきなり「ホップ・ステップ・ジャンプ」でいえば一気にジャンプまで行く試み。しかし、SHIMAさんが何気なく、「次はこうしたスーツも楽しいですよ」と提案してくださったこの組合せの、仕上がったときの様子やそれを着ている自分がまったくイメージできませんでした。
だからこそ余計に、「どうなるのか見てみたい」という気持ちが増しました。知らない世界だからこそ逆に知りたくなる、という本能が、自然に刺激されたようです(とはいえ、神の手をもつSHIMAさんには既に何か思うところがあったようで、「Mさんのイメージにぴったりのスーツに仕上がると思うわ」と微笑んでおられましたが……)。
初めて着物を仕立てることになったときにも似た、何ともいえない浮き立つような気持ちのなかで、私には少々気になっていたことがありました。それは、いま現在、自分がエグゼクティブの立場ではないこと、そして創業50年以上の勤務先の長い歴史のなかで女性管理職が誕生した例はないということです。
そんな後ろめたいような気持ちを率直に投げかけたとき、SHIMAさんはこうおっしゃるのでした。「覚悟をした瞬間、願ったような人物になれるんです。なにもひるむことはありません。芯を持って、竹のようにしなやかに振る舞っていってください」
今、相応しいポストにあるかどうかではなく、覚悟を決めたときが潮時であること、すべてのことには時があり、私には「今」であることを諭してくれた瞬間でした。
初めてSHIMAさんのスーツを着て出社するとき、とてもドキドキしたことを覚えています。会社のデスクに着いたとき、きっと私の耳たぶは赤くなっていたかもしれません。メガネをかけていた人がコンタクトに変更するときのような気恥ずかしさがありました。昨日まで着ていたスーツと明らかに違いますから……。
しかしながら、そんな初々しさはもう過去の話で、いまや私は以前着ていたスーツに袖を通して出社することのほうが恥ずかしい。一度“本物”を知ってしまうと、もう後には戻れないということを痛感します。
「本物は違う」というのは、何も表面上のことだけに限りません。自分の体型に合わせて作られているだけあって、長時間働いていても着心地がよいこと、また、よい生地を使っているからでしょうか、変な皺ができない点も好感を持ちました。この点については、以前、ある陶芸家の方とお話したときに出た、「見た目だけでなく、機能性も高いものを本当に『デザインがよい』って言うんだよ」という発言を思い出しました。
さらに、私にとってはSHIMAさんのスーツと出会えたことによって解消された弱点があります。それは、「パーソナルカラー・パーソナルデザイン」に束縛されていたところです。
以前、それこそスーツが一着購入できるくらいのコンサルタント料を払って、「パーソナルカラー・デザイン」という、自分に似合う色とデザインの分析をしていただいたことがあります。似合う色の生地見本、お勧めの化粧品のブランドと品番の記述、似合うデザインのイラスト、関連する写真資料も付いた詳細な分析レポートだったので、遊び半分で受けた診断にも関わらず、知らず知らず相当な影響を受けていました。
今はこの診断結果に束縛されていた部分もかなり解消され、気楽におしゃれを楽しめるようになりました。なぜなら、分析結果上では似合わないとされていた色・柄・素材を使ってSHIMAさんがスーツを作ってくださったのですが、着ていると褒めてくれる人が多いものですから(手前味噌で恐縮ですが、自分自身でも似合うと感じます)。
きっと私と同じようなパーソナルカラー・デザイン分析を受けた方は非常に多いと思いますが、「あなたがバッグの中に忍ばせている生地見本やファイル、一度、目に見えないところにしまってみるのもアリですよ」と、ついおせっかいを焼きたくなります。
これを書いている2010年、私が仕事をしている業界は、既存のビジネスモデルや組織の見直しを図らなければならない大きな転換期にあります。過去の戦略があまり役にたたない場面が多くなり、ベテランがこの業界を次々に去っていく姿を目の当たりにしています。「こうすれば大丈夫」といった特効薬も見つけにくい状況です。
そうした緊張する局面を迎えているなかで、お仕着せの制服のようなスーツをやめて、SHIMAさんのスーツを好んで着るようになったことは、個人的に非常に大きな意味をもっていると感じます。力を蓄えながら活躍の機会をじっと待つ自分にとっては、しなやかに行動するための味方が必要でした。SHIMAさんのスーツというビジネスパートナーとの出会いが、どれだけ自分を励まし、仕事に集中できる環境をつくってくれていることか……。常々、有難いと思っています。
雌伏の時だけでなく、至福の時もSHIMAさんのスーツを着て迎えること、いまはそれがパートナーへの恩返しだと考えて、どんな風向きにあってもひるむことがないよう、涼やかに目の前の仕事に取り組んでいます。